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​戦後復興からバブル経済

昭和21年に入社した小野亀八郎は昭和41年に取締役社長に就任。復興から高度成長期を経てバブル期に向かう激動の中、白河市長就任までの15年間、社長として会社を率いてきました。また社員持株制度をとり、全社員を株主としました。昭和47年、道場小路より会津町に社屋移転。この頃から福島県県南地方に企業進出が増えてきました。当社が請け負った佐野製作所福島工場新築は県南地方への企業進出のはしりといわれています。その後、当社は多くの進出企業の工場等を新築いたしました。

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白河市初のアスファルト舗装工事
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​白河駅前コンクリート舗装
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​白河市立白河第二小学校

社員持株制度(小野亀八郎手記より)

 

私が退任する際、1つ変わったことをやりました。

会社は社員持株制度を採っており、全社員が株主です。

勿論古い株主様も、お出かけいただき次期社長を定める株主総会、私は次期社長は推薦しませんでした。

その理由は「これから皆さん方と苦楽をともにし、然も会社の命運を担う社長は誰が適任なのか、皆さん方で決めてください」

これまた私の持論です。

4代目社長には当時はまだ32歳であった、息子の小野利廣就任。

「良かろうと悪かろうと皆さんの責任です。一緒に歩んでください」

これが提唱しておる大家族主義の経営、その思いも達することができました。

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